はじめに

「そば」と、発声しても、種子と麺状の食べ物と判別しづらいので、このサイトでは、「ソバ」を種や粉の原料の状態、「蕎麦」を料理として加工されたものとして使い分けることにします。

ソバや蕎麦については、ネット上にいっぱい詳しい情報がありますが、書くと自分の整理にもなるので、調べてきたことを記しておこうと思います。

ソバとは

ソバは、タデ科に属する一年生草本。原産地は、シベリアからインド辺の地域、日本へは、縄文後期に中国から朝鮮半島を経て伝えられた(『たべもの起源辞典』岡田哲著より)とされる穀物です。

古文書では「曽波牟岐(そばむぎ)」とか「そまむぎ」、「喬麦」とか「蕎麦」などと記されており、その語源は、山林を表す「杣(そま)」や、険しい山の「岨(そわ)」とか、嶮岨(けんそ:けわしい所)のことを「曾波(そば)」と呼んだことから、地形から由来しているという説(『そば学』井上直人著より)があるようです。

江戸初期1697年に刊行された『本朝食鑑』では、蕎麦は「曾波(そば)」と読み、「久呂無木(くろむぎ)」とも呼ばれると記しており、どこにでもあるが、信州産は特に良いものとして紹介されています。
信州蕎麦が広く認知されるようになった歴史的背景を話し始めたら、ハリー・ポッターを優に超えそうですが(冗談です)、こういった良質なソバの生産地であったということなんですね。

蕎麦とは

そばきり(蕎麦)とは、江戸期に創作された、代表的なソバ粉の食べ方。蕎麦がき、蕎麦餅と区別するために、延ばして包丁で切るところから、そば切りと称した(『たべもの起源辞典』岡田哲著より)そうです。

「蕎麦切り」では刃物のことになるから、切り麦と同じように切り蕎麦と呼ぶべきでは?と考えた人もいたようですが、1783年頃の随筆『袂草』によると、「切り蕎麦では言葉が詰まって言いづらいので、蕎麦切りと言う」とされたようです(『蕎麦史考』新島繁著より)。

蕎麦切りの歴史

さて、蕎麦の概略がおさらいできたところで、「蕎麦切り」の歴史を遡ってみましょう。

現在の「蕎麦(蕎麦切り)」の最も古い文献とされるのは、1992年に長野の郷土史家・関保男氏によって発見された、1574年の長野県木曽郡大桑村須原にある定勝寺の仏殿修理の記録とされています。
そこに、「振舞 ソハキリ 金永(金永さんがそば切りを振る舞った)」と記されていたことから、それまで初見とされていた1614年『慈性日記』の「ソハキリ」の歴史から40年遡り、江戸時代が始まったころには、蕎麦が広く普及していたことが明らかになったようです。

以後、その呼び名だけが書き残されてきましたが、「ソハキリ」の初見から約35年後の1608年に記された『妙興禅林沙門恵順 寺方蕎麦覚書』に、蕎麦の”調理法”お目見えするようです。この文献は公開されていないため、内容が確かめられずにいます。一般公開されているものだと、1643年(寛永20年跋刊)に書かれた日本最古とされる料理書『料理物語』に、その詳細な作り方が、薬味や汁(生垂れ:味噌の汁)を添えた食し方と併せて記されています。

『料理物語』日本公文書館デジタルアーカイブ

そのおよそ50年後の1697年に刊行された『本朝食鑑』では、
「ソバを杵で搗いて殻を取り去り、挽いて粉にし、ふるいにかけて極めて細かい粉末にし、熱湯か水で練りあわせ、平たい丸い餅の形にまとめてから麺棒に巻き付け、手荒く押し固めながら薄く延し、それをパっと広げ、三・四重に畳んで、端より細く切って、熱湯に投じて煮る。長く煮ると硬くなり、随時見計らって取り出し、冷水か温湯で洗う。これを蕎麦切りという。」と、かなり詳細な作り方が紹介されており、
食べ方についても
「つけ汁を用いる。汁は煮貫(作り方が記されている)。別に大根汁、花鰹、山葵、陳皮、唐辛子、海苔、焼き味噌、梅干しなどを用意して、蕎麦切り及び汁に和えて食べる」
と、豊富な取り合わせで食べていることが分かります。

『料理物語』の頃から比べると、
つけ汁に使っていた、味噌を水で溶いて濾した「生垂れ(なまだれ)」は、それに鰹節を煮出した「煮貫(にぬき)」へと進化し、薬味については、特に辛味大根へのこだわりが強く、辛みの具合、形、産地にまでその良し悪しが求められていたようです。

この一連の食べ方は、のちの1751年に、お蕎麦大好きな人によって書かれた『蕎麦全書』(『蕎麦全書・伝』日新舎友蕎子著、新島繁校注、藤村和夫訳解より)にも引き継がれており、歴史を辿ると、『料理物語』のころからさほど形も食べ方も変わっていないことがわかります。

いっぽう、現在の形と比べるとどうでしょう。
蕎麦そのものの形は変わっていなそうですが、つけ汁は、醤油の普及とともに味噌ベースの出汁(煮貫)から醤油ベースの出汁へと変わり、こだわり深かった大根が山葵へと変わり、その他の薬味などもずいぶん簡略化?洗練?されたように思います。

古い文献を少しをめくるだけでも、「知ってる蕎麦」とは違う側面が見えてきますよね。

過去に、江戸時代の蕎麦を再現したこともあり、たまにお蕎麦会などで作ったりもしているので、「にぬき」でサイト内検索してみてください。

ちなみに、現在でも一部では味噌の汁や大根の汁で食すところが残っていたり、福井県の越前そばでも分かるように、その名残や変遷が伺えます。